似合う服・背中を押してくれる服

 自分に申し訳ないが、昔の私は、ファッションセンスがあまりにも薄い子だった。そりゃそうだ。日本の諸君にはご存知ないかもしれないが、中国の子供たちは、小学校から毎日ジャージの制服を着なければならなくて、スカートやスーツ系の制服を持つ学校がほとんどなかった(だんだん変わってきたと思うけど)。高校を出てすぐ日本に来て、しかも私立大学に入った私にとって、まるでこれまでの人生が全部裸で過ごしたような気がした。
 母は痩せていた。毎日のようにワンピースを纏い、ハイヒールに乗り、薄化粧をし、短髪ながらも古風な美人だと周りの人に褒められる生活を送った。私はまさに彼女の正反対で、トムボーいで、喧嘩好きで、言うまでもなくスカートが大嫌いだった。
 本当は、スカートが嫌いな訳じゃなくて、スカート姿の自分が嫌いだった。足が太すぎて醜いからだ。人の目を怖がり、鏡を見る勇気すらなかった。足が太かった私は、ズボンを着るしか許されない人として生まれた。自分でも不思議だと思う。だって、日本に来て、どんなにぽっちゃりした子でも、足だけが必ず細く見えていた。日本人の足が細い、と私が断言できるのだ。しかし、ズボンを穿いても、必ずしも足が細く見えるには限らない。太さが無駄に強調されてしまうこともある。
 ところが、私がジムに通い始めて、やっと痩せられた後でも、最初はスカートを穿く気がなかった。「慣れてない」からだ。あと、スカート姿の女の子は、なぜかプリンセスのような高貴の気品が漂って、自分とは別世界の人だと思っていた。
 年に一度帰省している。帰国するたび、母や知り合いの人たちに痩せたね!と言われる。私は日課で体重を測っているためレファレンスプイントが変わりつつ、まだまだ太ってるわよといつも答えた。
 3度目の帰省で、趣味で服を作っていた母は、急に一気に山ほどのワンピースをくれた。試着してと。
 は?似合うもんか。
 試着してって。
 その中の一番普通そうなのを手に取り、なんてこったと嘆いながら着替えて、家に唯一、全身鏡のある部屋に行った。その鏡もまた、高校に入ったから買ったもので、私のファッション知らずさの証であった。
 鏡の中に映っていたのは、とても痩せてるとは言えないが、紛れもなくプリンセスだった。私はその場で凍っていた。これが自分だと思えなかった。
 似合うんでしょ。お母さんが一番知ってるって。
 …うるせ、と、私が返事して、無言でそのワンピースを脱いてスーツケースに詰まった。
 やはり似合わないなぁ、と思って、東京に帰った後でも一回しかあのワンピースを着なかった。ハンガーラックに掛かれて眺められるしかなかった。だが、どうやらあれをはじめに、私はようやくスカートやワンピースに目覚めたのだ。成人以来初、ワンピースを着て学校に行くことも遂げられた。スカートだけではない。もう何年間も、夏では白とベージュで冬では黒、鮮やかな色を無意識に避けていたが、今年のある春の日に、人生初めてのイエローのコートを買って、そのまま着て帰る勇気も出られた。これもまた不思議だなと私は思う。
 無論、似合わない服を買えとは言ってない。お金をかけるものである以上(かけなくても)、似合わないと買うべきではない。だが、昨日の自分より、今の自分に、さらに、明日の自分の事を考えよう。過去の自分に似合う服より、未来の自分に似合う服を買おう。安心させられる、殻になってくれる服より、胸を張らせて背中を押してくれる服を買おう。
 これを着て、今日も明日もその先も生き抜けるような、服を探そっか。

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