今更「中国人っぽさ」を考える

ブラックフライデーのマーケットで、インド屋台の茶屋さんがいた。ドイツ国産のお茶がマズすぎてもう絶望したので、寄ってみた。
試し飲みをもらった。ハーブティーが好みじゃないんだけど、本当にうまくて、すぐ買うのを決めた。値段を聞いて財布を出すと、旦那さんが「買うんですか?」と、ちょっと驚いた様子を見せた。
「日本から来ましたか?」
「いいえ、中国から…」
「あららそれは失礼しました」
「日本には長くいたので…」と私が笑いながら、屋台を去った。

帰り道で考えてた。私はどんだけ日本人に見えるのか?
10 代から、母の友人に「日本人っぽいですね」と言われてきた。今の同級生にも、日本語経験者で、ドイツの街に知らない日本人に話しかけられた経験がある子がいる。なんと、中国人が少しでも日本文化に触れたことがあるなら、日本人っぽくなる傾向がありそうだ。
しかしながらも、日本にいた時、長く付き合った日本人の友たちには、「さすが中国人だねえ」と何度も言われていた。時には、私が中国人であることを忘れちゃいそうだけど、「さすが」の回数に上回れる。
「〇〇人っぽさ」とは一体何だ?
ある国の言葉を覚えると、その国の人と似たような思考回路が作動する説がある。母語とは違う言葉で喋ったり、文章を書いたり、考えたりしたら、その国の人と似たような(母国の人とは違う)結論に導くこともなくはない。その国の人と似たような行動をとって、その国の人と似たような外見になるんじゃないかな。

(ここでは「自分っぽさ」について議論する好機だが、長くなりそうでやめる。)

「グローバルシティズンには祖国がない」ということもあったが、この説に同感するが、同意はできない。
わたしには祖国がある。このまえ述べたように、わたしは祖国の大地、民族と文化を愛し、その一部である自覚がある。その同時に、日本文化も愛し、日本に対しても帰属感を持っている。
これを許してくれない人に、許されたいとは思わない。←この宣言こそ、日本人から見る中国人っぽさ(日本人っぽくなさ)であるかもしれない。ね!

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