金魚の瞳の向こうから

金魚と名乗るのはもう長い。一番の理由としては、私の記憶が悪いからだ。基本的に何も覚えられないから、携帯かノートがなければ廃人になる。まさに金魚である。
でもそれだけじゃない。平日にはメガネを掛けてない時が多いので、目がいいと思われがちだが、実に目が悪い。片方が遠視で片方が近視(になった。元々は両方遠視)で、乱視で、物が立体的に見えない。本を読むことに大きい支障がないから、面倒くさくてメガネをあまり掛けないだけだ。金魚の目だ。
金魚の目が持って、とある利点に気づいてる。立体的に見えないからこそ、目に映ってる景色がカメラと一致てるんだ。左目だけで世界を見てるので、カメラを左目にくっつくと、思う通りの絵が撮れる。ていうか、見てる物がそのままに写真になる。見ること自体が構図を探すことになる。最高。生まれてからずっとこうして写真を撮ってきたから、最初は知らなかったが、幼稚園の頃から母より写真が上手かったエピソードがある。最近はだんだん、立体視覚がある(ほとんどの)人たちが可哀想に思い始めた。
金魚の目を通して、私は一刻も止まらずにこの世界を目で撮っている。常に景色と構図を意識して、絵を探してる。金魚の目は、芸術家の目だ。

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